未来派
 百年後を羨望した芸術家たち

 

多木浩二(著)

頁数:352頁
予価:3600円+税
ISBN:978-4-910108-05-6 C0070
装丁:宗利淳一
2021年6月11日発売

なぜ百年後を羨望するか?
私たちは、なぜ未来に憧れ、そして失敗するのか。

20世紀、そして21世紀における文化・政治・テクノロジー・広告といったさまざまな人間活動の萌芽であった芸術・社会運動「未来派」。
その「未来派」の全容に、宣言・運動・詩法・建築・ネットワーク・ダイナミズム・音楽・ファシズム・起源という9つの切り口で迫り、現代における「未来観」の再考をはかる。
哲学者・美術批評家の多木浩二がイタリアで渉猟した膨大な書物や資料をもとに書いた渾身の遺作。

【本書の特色】


1.芸術・社会変革運動「未来派」について書かれたモノグラフ。
2.「未来派」にかかわる絵画・彫刻・建築などの図版約120点を収載。
3.「未来派」の数ある宣言文の中からとくに重要な11篇をイタリア語とフランス語から翻訳し収録。

【目次】

第1章 未来派という現象
 1 始動――『ポエジア』から『フィガロ』へ
 2 運動――すべては動く、すべては走る、すべては変わる
 3 詩法――人間の言葉を変える
 4 建築――あたらしい都市
 5 宣言――羽のついた「ことば」が世界を飛びまわる
 6 ダイナミズム――未来派がもたらす概念
 7 音楽――騒音が世界を変える
 8 ファシズム――全体主義の出発点
 9 起源――マリネッティの感受性と詩的思考

第2章 未来派ギャラリー

第3章 機械・ファシズム、そして人間
いまを生きる人間の義務/森鷗外と未来派/社会の変革を望んだ芸術運動/羨望される人間になりそこねた私たち/システムと統治権力が日常を覆い尽くす/「未来」の宿命の端緒をひらいた未来派/未来への待機/無力感が未来派というかたちとなってあらわれる/「戦争こそ世界の唯一の健康法(衛生法)だ」/芸術の宿命/未来派の悲惨さ/人間の思想は機械からは生まれない/現在という幸福は未来を羨望しない/未来派を媒介に全体主義を考える/日本の破局の水脈/科学と芸術と言葉を繋ぎ合わせる

付録 未来派宣言の数々
 1 未来派創立宣言
 2 未来派画家宣言
 3 未来派絵画技法宣言
 4 未来派音楽家宣言
 5 未来派彫刻技法宣言
 6 騒音芸術
 7 シンタックスの破壊 脈絡なき想像力 自由になった言葉
 8 音、騒音、そして匂いの絵画
 9 未来派建築宣言
 10 全世界の未来派的再建
 11 未来派的映画


あとがきにかえて 多木陽介

​【あとがきにかえて 多木陽介】

 晩年(二〇〇一~二〇〇六年)の父多木浩二は、一年のうち数カ月を私が住むイタリアで過ごしていた。日中は街を歩き(ベンヤミンの教えに従ったのか、よく迷っていた)、書店で書物を渉猟し、めぼしいものがあれば展覧会を観に行き、晩には芝居やダンスを見て回るのが日課だったが、時折講演に呼ばれて、トリノ、ジェノヴァ、フィレンツェ、ヴェネツィアなどの大学に赴いたこともあった。そんなイタリア滞在中に、特に二つの対象に強く関心をもって研究をはじめていた。北イタリアの中規模の都市トリノを巡る歴史と未来派の活動である。どちらの研究も、父の生前にはまとまったかたちでの成果を見ることはなかったが、いまから振り返ると、この一見関係なく見える二つの主題が、じつは緊密に相関して、ある新しい歴史哲学として結晶する可能性があったことが見えてくる。

 トリノをつくった「退行」のエネルギー

 トリノに対する父の関心は、かなり前からあったようだ。近代以降だけでも、グラムシ、ロンブローゾ、パヴェーゼ、レーヴィ、カルヴィーノほか、相当数の知識人、そしてエイナウディ出版のような重要な出版社が集中する系譜があったからだ。だが、直接この都市への関心が具体化したのは、一九九九年の晩秋に批評家のマルコ・ベルポリーティ氏らと一緒にトリノ郊外(ストゥピニージ)のパラッツィーナ・ディ・カッチャ(狩猟用の小宮殿)で開催されたバロック建築の大展覧会(「バロックの勝利ーーヨーロッパにおける建築一六〇〇―一七五〇」)を観に行ったときだった。展覧会のあととその翌日、ベルポリーティ氏とその教え子に案内されてトリノの都市の要所をいくつか見て回ったことで、イタリアにしては珍しい碁盤の目状の都市の原型が、じつは古代ローマに遡ること、そして、その合理的なプランと均一で抑制の利いた外観とは裏腹に、エジプトのカイロについでミイラが多数保管されているとか、いまだに黒魔術の中心地であるなど、昔からどこか不穏で気味の悪いものが、水面下を流れつづける都市だという基本認識を授けられたのを覚えている。
 父はこの不気味さがいたく気に入ったようで、それからもことあるごとにこの街を訪れ、散策し、資料を集めはじめた。その成果は、生前に具体的な著作として発表されることはなかったが、二〇〇七年に研究の概略を語る貴重な講演を神戸芸術工科大学にて行い(二〇〇七年一一月二二日に「形而上的都市トリノ」というタイトルで行われている)、その録音をもとに、父の死の翌年の二〇一二年に『トリノーー夢とカタストロフィーの彼方へ』がベアリン出版から刊行されている。その講演の数年前まで都市に対して父の抱いていた関心は、おもに、グローバル化された大都市とその特徴的な現象に向けられていたが、『トリノ』からは、それとはまったく異なるかたちで、どちらかというと規模の小さいトリノという都市の大都市とは異種のエネルギーのなかにのめり込んでいく父の歴史思考の跡が浮かび上がってくる。

 このトリノ論のなかで、父は、建築史家ヨーゼフ・ライクワートの説に倣い、直交型のプランの下に隠蔽されたローマ創設に関わる血なまぐさい記憶がそれ以来ずっとこの都市の古層に連綿と流れつづけていると仮定するところから考えはじめる。そしてその不穏などす黒い無意識のようなもの(これを「夢の原型」としていた)が、特別な感受性をもった建築家(一七世紀のグアリーノ・グアリーニ、一九世紀のアレッサンドロ・アントネッリ)、思想家(ニーチェ)、芸術家(デ・キリコ)たちを通して繰り返し夢のように噴きだしては、興味深い痕跡をこの都市に残してきたことを問題にしている。父は、すでに『シジフォスの笑いーーアンセルム・キーファーの芸術』(一九九七)で、キーファーのヴィジョンを自分のものにしながら、歴史を大きなエネルギーと捉え、そのエネルギーのなかに「進歩」と「退行」という正反対の二つの流れがあることに注目していたが、ここでもその延長で、都市の無意識という地下水脈をいい当てる棒占いか夢の作業に近い「退行」的な創造力がこの都市の重要な部分を形成してきたことを主題にしていたのだ。
 だが、やがて二〇世紀に入り、リンゴット(フォーディズムに学んだ生産の実践のためにエンジニアのマッテ・トゥルッコらによってフィアットのために一九一五年に設計された自動車工場)が建設される頃になると、この都市の歴史の質が一変する。「フィアットの登場については、それまでの歴史と違って、都市の夢がそこに生まれたというよりは、その夢も飲み込んでしまうような近代的な資本の世界がトリノの街にも流れ込んだ事件だった」(多木浩二『トリノーー夢とカタストロフィーの彼方へ』、七二―七三頁)というように、「退行」とは真逆の「進歩」のベクトルをもつ強大な資本のエネルギーが奔流となって流れ込み、それまでこの都市を形成してきた豊かな「退行」的な創造力が根こそぎ押し流されてしまうことになる、その歴史的瞬間を描写するあたりで父のトリノ論は幕を閉じるのだが、このトリノ論の最後は、リンゴットの建設とともに歴史を創造する主役が「退行」から「進歩」へと一気に移る歴史的な交代劇を描いているともいえるだろう。

 未来派の体現する「進歩」のエネルギー

 しかし、この「退行」から「進歩」への交代劇は、じつはリンゴットの設計よりもさらに数年早く、一九〇九年に創立宣言を世界に向けて発することになる未来派の活動によって、きわめて衝撃的なかたちで喧伝されはじめていた。彼らの数々の宣言と芸術的実践は、ひたすら過去との決別を叫び、新しい技術文明の発展の象徴としての機械と速度への称賛を繰り返したわけだが、それは当時の歴史の内部で胎動しはじめていた、ひたすら前へ、前へ、という強力な「進歩」のエネルギーが外部に向けて発した荒々しい産声だった。成熟しきった蛹の背が割れて、蝶が羽化する瞬間に喩えてもいいかもしれない。彼ら未来派の芸術家たちは、資本と技術の力が、当時まだ産業化も遅れ国家としての統一も日の浅かったイタリアにも強烈に押し寄せ、「退行」と「進歩」がその形勢を大きく逆転させつつある歴史の決定的な変わり目を、誰よりも敏感に察知して歓呼していたのである。

 父が未来派の作品をはじめて纏まったかたちで目にしたのは、二〇〇一年にローマのパラッツォ・デッレ・エスポジツィオーニ(博覧宮殿)で開催された「未来派一九〇九―一九四四ーー芸術、建築、舞台、文学、広告」展であったが、父の場合、トリノに対して抱いていた、自分でも説明のつかないほどの特別な親近感とは違って、未来派に対する感情は、ある種の抵抗感からはじまったように思う。そもそも、ボッチョーニとサンテリアを除くと、未来派の芸術的成果をそう高く評価していなかったし、そのファシズムと交錯していく政治的資質に対しては、当然強い疑問と反発を感じていたはずだ。だが、歴史哲学という観点からいうと、未来派を看過することはできない。この未来派とともに決定的なことが起こるのだ。父も本書に掲載された今福龍太氏との対談で述べているように、未来派は、機械と速度の称賛に夢中になるがあまり、「人間を忘れ去ってしまった」のだ。
 未来派の活動は、人類の新しい歴史の幕開けをセレブレートするつもりでいたはずなのに、じつは、人類、そして人間らしさを歴史の舞台から追いやるのに一役買ってしまったのである。資本と技術が、自然はもとより、人間を凌駕、圧倒し、人間から歴史の主役の地位を奪うことになる瞬間がもう目前に迫っていた。
 そして、父も上記の今福龍太氏との対話のなかで述べるように、ここにこそ、いま、未来派を研究する意味がある。未来派が登場した当時、彼らの態度は社会のなかでは完全に浮いていて、異常にエキセントリックなものとして映ったはずだが、あっという間に社会全体がそこに追いついていく。そして現在いわゆる先進国と呼ばれる産業化された国々に目を向けてみると、どの国でもほぼ国民の全員が未来派の羨望した感受性を当たり前に備えていることに気づく。ほぼ全員が自動車レースから事務処理能力に至るまで、あらゆる場面の速度を無意識に称賛し、日々の技術革新(いまでは機械ではなく電子機器のレベルだが)を無批判に受け入れて、ゲーム、スマホ、PCその他の新製品に群がっている。未来派が荒々しく追い求めた夢は、もはや完全に日常の一部と化しているというか、現代人の無意識のなかに埋没しているといえるだろう。それを現代世界の神話と呼んでもいいが、不遜の誹りを覚悟でいうと、現代人はどこか皆、マリネッティが誰かも知らずに“Je suis Marinetti”(私はマリネッティだ)と書かれたTシャツを着ているようなものなのだ。われわれは、未来派の時代以来、人類がこの百年のあいだに、科学技術の進歩のかたわらで何を喪失したのかを覚えてもいないし、まして、百年前に誰かが自分たちの現在を羨望したなどとは、とても想像も及ばない。
 このあいだに人間の思考や感受性だけではなく、社会という場のあり方も大きく変容した。特に資本主義の圧力の強大な日本のような社会においては、ベンヤミンがかつて『歴史の概念について』のなかで見事に詩的なかたちで描写した、進歩の「強風」に吹き曝された社会そのものが、人と人のつながりの場であることを忘れて、単に経済活動の場に掏り替わろうとしている。人間らしさが極限まで薄れた「荒地」と化した社会は、百万人近いひきこもりや一千万人ともいわれる社会的孤独者を生み、近年は、年に三万件強の孤独死を記録するに至っている。それにも拘らず、いまだにわれわれは基本的に未来派とそう質の変わらない夢を追いつづけているのだ。もうそろそろ違う「夢」を人類が見はじめないと本当に人間はやばいことになるという強い危惧を父はかなり前から強くもっていたが、それが父を未来派研究に向かわせた理由の一つだといっても過言ではあるまい。
 父が晩年の多くの時間をイタリアで過ごしていたことも、この危機感に拍車をかけることになったと思う。イタリアにいるだけで、確実に日本社会におけるのとは違う「進歩」と「退行」の割合を感じるからだ。その差を日々体感しながら、気づかぬうちに「退行」の割合の多いイタリア、そしてトリノに惹かれていたのは、間違いなく、同時に未来派と同じく「進歩」一辺倒の現代日本社会に対する危機的な意識が一層研ぎ澄まされることになったのではないだろうか。

 トリノ論と未来派論の彼方

 晩年の父は、よく、自分は歴史を、千年、二千年という長大な時間の幅のなかで考えていると語っていたが、ただスパンの長さだけが問題ではなかった。何をもって歴史と呼ぶか、という対象が一般の歴史家とは違っていたのだ。そこで問題になる歴史とは、代々の政府がいつ何をしたとか、どの戦役でどの軍が勝ったとか、いつ大恐慌がはじまったとか、何年にどんな新製品が市場に出たとかいう、細かい日付のついた明確な「出来事」の実証主義的な連鎖ではない。多木浩二という人は、事実の連鎖などにはからっきし興味がないのだ。普通の歴史家の視野からは漏れ落ちる(父はそれを「落丁」と表現していた)、一見些細に見える徴候を手がかりに、それらがしっかり根を下ろした歴史の古層におけるダイナミックな変化を捉えることが彼の目標であり、そのためには、ある程度長大なスパンの視程が必要になってくるということなのだ。その意味では、ここでいう、「退行」と「進歩」の交代劇というのも、新しい首相の任命式のように正確な日付がある出来事ではなく、ある幅をもつ時代のなかで、無数の出来事が起こるうちに徐々に成立していく形成過程のようなものである。この非常にダイナミックな歴史の捉え方は、ミシェル・フーコーのそれに非常に近く、そのことは、本人も自覚していた。「未来派創立宣言」の『フィガロ』紙への発表(一九〇九年二月二〇日)も、それだけが決定的な瞬間であるというよりは、目に見えないより大きな流れの潜在を暗示する数多の徴候の一つとして読まれるべきだろう。
 物事が成熟して発生するに至るには、かつてパウル・クレーが芸術家の創造プロセスを一本の木に喩えたように(Paul Klee On Modern Art, 1924)、深い根からはじまって最終的に枝先に果実がなるまでという、成熟の時間がかかるのであり、父の歴史哲学における思考の展開にも、この創造のプロセスによく似たところがある。物事によっては、その目に見えない根は途方もない深さ(過去)にまで及んでいるからだ。その根に下降することが「退行」である。「退行」という用語自体フロイトの用語からの転用だが、父は、記号論という以上に精神分析に近いかたちで歴史にアプローチしており、だからこそ、歴史の水面下で蠢く無意識の部分にことさら興味を抱いていたわけで、トリノという都市の歴史は、このアプローチにとって恰好の素材であった。父は、現代世界においてこのような「退行」を実践する芸術家としてアンセルム・キーファーを自分の歴史観の手本としていたが、父が「退行」的要素に注目するのは、それが、この世界を刻一刻生みだす歴史の創造力そのものの問題として重要なポイントだからである。「退行」の視線をもつには、ある種の芸術的、詩的な資質が必要であるが、未来派とともに世界に流れ込んだ、これとはまったく異質で暴力的な「進歩」のエネルギーが席巻した一世紀のあいだに、「退行」的な要素は、世界から徹底的に一掃されてしまった。ベケットも『ゴドーを待ちながら』のなかでそれとなく仄めかしていたように、近代という世界は、詩人を(時代遅れの存在として)排除していったわけだが、世界が詩的な「退行」能力を喪失したこと、それこそが、トリノ論と未来派論の二つがともに描きだす決定的な主題であり、この二つが接続されることで、晩年の父の最大の目標であった二〇世紀論のもっとも本質的な部分が見えてくるような気がする。

 *

 父は、初出を掲載することを嫌っているところもあったが、最後に記す。本書の第一章は、『大航海』(新書館)のNo.五〇―五八に連載された「未来派という現象」から、第三章は、『映像の歴史哲学』(みすず書房)の「第四章 未来派ーー二〇世紀を考える」から、それぞれ転載した。なお、本書収録にあたり、事実や人名、日付の確認作業を行い、一部補訂・訂正・削除等をおこなったところがある。また、本書付録所収の未来派の各宣言文は、フランス語で『ル・フィガロ』紙に発表された「未来派創立宣言」以外、すべてイタリア語版から翻訳した。歴史ある(創立一五八三年)イタリア語、イタリア文学についての研究機関であるクルスカ学士院(Accademia della Crusca)がもっとも正確に、そして漏れなく宣言を蒐集しているので、ここのデータベースをもとに翻訳した。ただ、父はイタリア語よりもフランス語の資料を中心にしていたので、第一章の本文中に引用されている宣言文のなかには、当時すぐに出たフランス語版を訳している部分もあり、本文四二―四三頁にも断ってあるが、その部分は、付録所収の宣言文の内容とやや異なる部分もある。

二〇二一年三月三日 ローマにて。

​【著者】

多木浩二(たきこうじ)

1928~2011年。哲学者。旧制第三高等学校を経て、東京大学文学部美学科を卒業。千葉大学教授、神戸芸術工科大学客員教授などを歴任。1960年代半ばから、建築・写真・現代美術を対象とする先鋭的な批評活動を開始。1968年、中平卓馬らと写真表現を焦点とした「思想のための挑発的資料」である雑誌『プロヴォーク』を創刊。翌年第3号で廃刊するも、その実験的試みの軌跡を編著『まずたしからしさの世界を捨てろ』(田畑書店、1970)にまとめる。思考と表現の目まぐるしい変貌の経験をみずから相対化し、写真・建築・空間・家具・書物・映像を包括的に論じた評論集『ことばのない思考』(田畑書店、1972)によって批評家としての第一歩をしるす。現象学と記号論を駆使して人間の生と居住空間の複雑なかかわりを考察した『生きられた家』(田畑書店、1976/岩波現代文庫、2001/青土社、2019)が最初の主著となった。この本は多木の日常経験の深まりに応じて、二度の重要な改訂が後に行われている。視線という概念を立てて芸術や文化を読み解く歴史哲学的作業を『眼の隠喩』(青土社、1982/ちくま学芸文庫、2008)にて本格的に開始。この思考の系列は、身体論や政治美学的考察と相俟って『欲望の修辞学』(1987)、『もし世界の声が聴こえたら』(2002)、『死の鏡』(2004)、『進歩とカタストロフィ』(2005、以上青土社)、『「もの」の詩学』、『神話なき世界の芸術家』(1994)、『シジフォスの笑い』(1997、以上岩波書店)などの著作に結晶した。日本や西欧の近代精神史を図像学的な方法で鮮かに分析した『天皇の肖像』(岩波新書、1988)やキャプテン・クック三部作『船がゆく』、『船とともに』、『最後の航海』(新書館、1998~2003)などもある。1990年代半ば以降は、新書という形で諸事象の哲学的意味を論じた『ヌード写真』、『都市の政治学』、『戦争論』、『肖像写真』(以上岩波新書)、『スポーツを考える』(ちくま新書)などを次々と著した。生前最後の著作は、敬愛する4人の現代芸術家を論じた小著『表象の多面体』(青土社、2009)。没後出版として『トリノ 夢とカタストロフィーの彼方へ』(BEARLIN、2012)、『視線とテクスト』(青土社、2013)、『映像の歴史哲学』(みすず書房、2013)がある。2020年に初の建築写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』を刊行した。